まんまるなおと

感じることを感じるままに。思いつくことを思いつくままに。

「さみしいのおと」がきこえてる

 

ぼくは目が覚めると

 

ここ、地球、にいた

 

 

だから、ぼくがどこから来たのか

 

わからない

 

 

どこに向かえばいいのかも 正直 わからない

 

 

 

いろいろ わからないから

 

ぼくの生まれた家にいた

 

おとうさん という ひと

 

おかあさん という ひと

 

あに という ひと を

 

観察して

 

真似をしてきた

 

 

 

こういうときは こうすればいいのか

 

ああいうときは ああすればいいのか

 

 

よりよいと思われる ひと の

 

真似をして

 

真似をして

 

 

ここでの 振る舞いを 覚えた ぼく

 

 

なんとか

 

周りのひとのように

 

振る舞えるようにはなったものの

 

 

 

いつまでも

 

 

みながそうするように

 

どこかを目指して 生きることは

 

できなかった

 

 

 

 

ぼくだって

 

なんども “そうなれたら”とトライはしてみた

 

 

優勝目指して 頑張って 野球をしたときもあるし

 

難関の大学に入るために 頑張って 勉強したこともあるし

 

ひとに喜ばれるようになるために 頑張って 介護の仕事をしたこともあるし

 

じぶんで稼いで“自立”できるように 頑張ったこともあるし

 

大切な誰かと結婚して家庭を持てるように

“理想的な”人間になろうと頑張ったこともある

 

 

 

 

それはそれで

 

目標があったり

 

達成したときには達成感があったり

 

その過程で 喜びがあったり

 

困難を乗り越える醍醐味があったり と

 

中身はあった

 

 

 

けれども

 

立ち止まって

 

静けさの中に

 

いてしまうとぼくは

 

 

じぶんの中のどこかから

 

あるいは

 

じぶんを通して広がっている果てしない宇宙のどこかから

 

 

「さみしいのおと」が聴こえてきてしまう

 

 

 

 

ぼくにとって

 

退屈が怖いのは

 

この、おと、を

 

 

いちばん しっかり聞くことになるからなのかもしれない

 

 

 

ひとと 離れるから でもない

 

ひとと 離れているから でもない

 

ひとりだから でもない

 

 

 

ほんとうは これを

 

「さみしい」と言い表していいのかも

 

わからない

 

 

 

ぼくは

 

そのおとを感じると

 

いつも たまらない気持ちになる

 

 

なにものでも誤魔化さず

 

ただただ感じてしまうと

 

胸がぎゅうっと痛くなって

 

涙が出てくる

 

 

 

不思議だね

 

 

 

 

ぼくはもう 

 

このおと を

 

聞かないようにするために 頑張ることはできない

 

 

けれども

 

同時に

 

 

 

ぼくにはまだ

 

このおと が  何なのか

 

わからない

 

 

 

ぼくは思う

 

これは

 

ぼくが地球にいる間はなくならない

 

 

 

そして思う

 

気づいているかどうかは別として

 

この地球にいる

 

すべてのひとに

 

このおとは聞こえている

 

 

 

 

ぼくは

 

思う

 

 

できることなら

 

 

いつか

 

 

「さみしいのおと」を

 

 

 

ぼくではない

 

だれかと

 

一緒に

 

 

 

聞いてみたいんだ

 

 

 

 

 

 

 

ぼくが

 

いちばんくつろげる

 

 

“さみしいのおと”が

 

聴こえている

 

“ここ”から。